無差別ブログ

無差別な世界をつくるために無差別に殴りかかる系ブログ@仙台


ラジオ放送後記014


鈴木無花果(@papa_s)です。

14回の放送後記です。

小さいころオウム真理教のテーマ歌ってて怒られたことありません?

soundcloud.com

もっと宗教の話はするべきなんじゃないか

恐怖とは未知なのであります。

例えば死の恐怖。

自分が死んだあとにどうなるのか、分かる人は今のところいないわけです。死後の世界なんてものはない、というのは簡単ですが、ないことの証明ほど難しいものはないですし。もしかすると人生に続きがあるのかもしれない。そこは超物理的な世界で、生前の行いがポイント制になっていて、それによって優劣が決まる世界である、その可能性の否定ができない。

しかしまぁ個人的にはそんな世界なんてのは非常に主観的で、現時点での物理で不安に思っても仕方のないことなんじゃねーかしら、と思いつつ、それを提示してくれる宗教というものにみんなが熱狂するのはなんら不自然ではない話です。

別に変なことでもなんでもないんだから、皆でお話をすりゃいいのにって思うわけですよ。「うちの神様はこう言ってるんだけどさー」みたいに。

まぁ原理主義者の人たちからすると、異教徒は排斥すべし、みたいな考えもあるし、それをやめろっていうのも難しいんですかね。それであれば黙っていようっていう。難しいっすね。

何かに頼ることは間違ったことなわけがない。

皆さんはどんな時に神頼みをしたくなるんでしょうか?あらゆる意味で「どうしようもなくなったとき」なんじゃないかなと思うわけです。なんでか分からないけど上手くいかない、とか。なんでか分からないけど今の自分に対する不満がある、とか。よくわからないけれど事態を好転させたい、っていうときなんだと。

でも個人的には、そういうときは神頼みじゃなくて、知り合いの中で上手いことやってるような人を見て、その人の真似をしちゃえばいいんだと思うんですよね。

人はそれぞれ違うんだからもちろん、それで全てが解決するとは思いません。その人が提示する解決策が、自分のポリシーに合わないかもしれません。

しかしそれがなんなのだ?自分のままでいたら自分を保つことが出来なくなってしまうのに、そこで変化を恐れるのは良くないじゃないんでしょうか?人に影響されて何が悪いんでしょうか?

盲信は恐怖ですが、ルーツを持つことは非常に大事で、僕は今日もそれを探しています。