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【アニメ評】人生は結局やり直せたら最高?「暴走の証明」


無花果です。

今日はなんとなく攻殻機動隊を見ておりました。

最初の2話までだけ見たことあったんですが、もう一回見たくなったので。続きはまた見ます。

ネタバレはしますよあたしは。

そもそも攻殻機動隊の面白さっていうのは、空想の世界を当然のように提供されるところなんだと思います。良い意味で容赦がないというか、登場人物たちがその生活にきちんと慣れ親しんでいるというか。状況の説明なんかも、登場人物たちが理解できる範囲で留められます。

ハンターハンター、マッドマックスFR、シンゴジラらへんと同じ面白さです。ハンターが分かりやすいですかね。あいつら余計な能力説明とかわざわざしないじゃないですか。そういう。そういうのやりたい。それはともかく。

病弱な身体に生まれた。自分が入れる機械の身体は目の前にある。しかし宗教がそれを許さない。一度死ぬことで制約から解き放たれ、新しい人生を歩み始める。

ツイッターかどっかで見たのを今では辿れなくて参照できないのですが、この暴走の証明と、フロリダのゲイクラブ襲撃事件と重ねているお話を見たことがあります。同性愛の許されないムスリムであって、しかしゲイ(orバイ)である自分もいる。(※これはホントかどうか確定的なものはないんですけど)

文明の発展によっても越えられない壁がある、と捉えてたんですよ。つまり宗教とかアイデンティティの部分については、一度死ななきゃ捨てきれない。ただ今回見て思ったのは、肉体的な死を文明によって超越すれば、ルートは違えど解放されることはできるという気づきです。厳密な意味でのセカンドライフ

しかし、新しい人生を歩むのであれば、以前の人生はどこまで引き継いで良いんでしょうか。それは以前の人生の何パーセント以下までなら、別の人生になるんでしょうか?そして少しも引き継いでいけないというのならば、それは新たな個別の人生になってしまわないでしょうか?

だから結局その人の願望は、もともと悲しい気持ちで過ごした日々を、その要素がない状態で過ごしたい、やり直したい、という欲求に収束してしまうんじゃないか。別のルートでは満足できないんじゃないか。

結局どうにもならねーじゃんって話になりそうなんですが、少なくとも予期されてる2030年でもどうにもなってなさそうなので、少しでも無意味な悲しみで暴走することのないよう、させることのないようにしたいなぁと思ったのです。

(これどうすんの?)

(まぁいいじゃん……)