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【書評】カテゴライズは僕らに道しるべを与えるのか?「ハイスペック女子の憂鬱」矢島新子


無花果です。

 

どちらかというと女性よりオッサン向け

「高学歴」「高収入」(&「高ルックス」)な女性をハイスペック女子と定義して、そんな彼女たちが陥りやすいメンタル的な課題をケーススタディ方式で紹介していく形式です。

1時間少しで読み終わるボリュームで手軽に読めるのが良し。表現も簡単で、とにかく多彩なケースがテンポ良く出てくるので読み物として優秀。そのケースも摂食障害、上司とのコミュニケーション、結婚・出産とキャリア、キャリアとプライベートなど、ここ最近女性向け媒体で特集されるようなものがきちんと網羅されているのが良いです。

個人的に驚いた事実は、専業主婦家庭でも共働き家庭でも、男性の1日の家事従事時間は変わらないというデータ。こればっかりは旧世代的男子厨房に入らずな雰囲気が残ってしまっているのだなと残念に思います。そんなに家事してないとは思ってなかった。

そんな感じの内容なので、なんとなく最近女性社員とうまくいかない50代男性らへんが、男女共同参画について考える入門書として読むのが良いんじゃないでしょうか。逆に言うと最近のきちんと考えている女性当人にとっては今更感のある話になるのかもわかりません(とはいえ確実に共感はできると思うので、そういうのを求める意図なら良いですね)。

オッサン達よ、誤解をしてはいけない。

しかし一つの懸念があって、これを読んだオッサンたちが、ここで定義された「ハイスペック女子」の「全員」がハイスペック女子のようにふるまうと誤解しないかということです。現在の50代より上の男性たちは、超画一社会を生きてきたわけですから、一部の例外を除いて、「定義から一部の例外を除く」ことに対する抵抗感が非常に強いわけです。

「女性」というカテゴリだけではとらえられない。だから「ハイスペック」を定義しただけであって、またこのカテゴリには(しかも割と早くに)捉えられる対象の限界が来るでしょう。そしてこれを繰り返していくと、「個人」のお話に行きつくのですが、そこはまだオッサン達には難しいのですね。

家を守っているだけだった「女性」が働くという例外に対応できていないのに、「ハイスペック女子」の中の例外が訪れたら、オッサン達は対応できるのでしょうか。

ところで

中身の書き方を見る限り、この本の元々のターゲットは「ハイスペック女子」っぽいんですが、煽りに「高ルックス」って書いてあるのが購買ハードルめちゃめちゃ上げてると思うんですけど。どういう顔で買うの。